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回想

三人兄弟の中で僕は一番親父に怒られた。
なぜか?第一に要領が悪かった。
それと兄貴に比べて怒りやすいからだったと思う。
親父は家では神経質な面があり、
僕が小学生の頃はよくイライラしていたように思う。
今思うと、小学校教諭と言うストレスの塊のような仕事のせいだと思う。

勉強のできない生徒を時間外で家で教えたり
夏には日本アルプスにみんなで必ず行っていた。
あの頃の親父は何を求めていたのか?
ある意味、熱血教師だった。
でも、気の毒なことに身体が弱かった。
在職中にも四回入院生活を強いられている。

最後は膵臓ガンだった。
50歳になったばかりで退職。
その後は酒浸りの日々だったらしい。
僕がフルーティストになることに反対もしないが、賛成もない。
ハッキリ言われたものだ。
音楽大学を合格した時もケンカした。
授業料を親父は払うと言うのだ。
僕は悔しかった。家での練習を一切許してくれない。
いつも夜中に岡崎美術館の玄関の屋根の下で練習した日々・・・

僕は親父に反対もしなければ、賛成もしないと言ったあなたがなぜ?
僕は合格しても進学するつもりはない!
後に母親が泣きながら、とにかく進学したらいいと言ってくれたこと。
あれからまた親父とは口を利かない日が続いたものだ。
大学を卒業してからも、陰では随分心配してくれたらしい。
大阪で骨を埋めるつもりで頑張った音楽教室を無念のうちに退職。
来月の家賃すら払うお金のない状態だった。

経済的に自立できるまで実家に住まわしてほしい
親父は断ってきた。ここは、お前の家じゃない。
兄貴夫婦の家であること。それにどんなに大変でも知ったことじゃない。
最初から覚悟の上でこの仕事をしてきたのではないのか?
怒りに身体が震えたが、その通りだと思った。
自分は本当に甘いと思った。死ぬほど悔しかった。
だから、その後がんばれたんだと後々わかる。

親父は死んだ。
最後はボケて僕のことすらわからない状態だった。
まったく最後の最後まで・・・
でも危篤になったとき、死ぬまでずっとそばにいた。
僕は淡々としていた。ようやくこの日が訪れたとボンヤリ感じながら・・・

仕事の都合でお葬式当日の朝までしか立ち会えなかった。
舞鶴教室の発表会があったから。年に一回の大切な行事。
舞鶴に向かっているときに母親から電話が
喪主のあいさつを考えたから聞いてほしいとのこと
母親は自分で考えたあいさつを読み上げながら途中で泣き出した。
何を言ってるのか?わからない。あとでもう一度かけなおしてよ
電話を切ったとたん、涙が噴き出た。もう顔がグチャグチャ
大声で泣いた。ああ、親というものは・・・簡単じゃないな・・・
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まとめ【回想】

三人兄弟の中で僕は一番親父に怒られた。なぜか?第一に要領が悪かった。それと兄貴に比べて怒りやすいか

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